そして先週の土日は鈴鹿サーキットで@IINAlabとしてつぶやく実験をしました。
twitterとは直接関係ないのですが、
フランスと鈴鹿。サイクルスポーツとモータースポーツ。
仏日の文化差を強く感じました。
日本ではスポーツの商業化がいけないことのような節があります。
しかし、私の見たツールはとても商業的ではありますが、田舎の観光促進も担い、しかも教育的な配慮もなされているというぎりぎりのバランスをとっていました。これがヨーロッパがスポーツを支える基盤であるということを感じた次第です。
お金がないとスポーツが成り立たないのも事実です。そしてプロモーションをしないと人が集まらない。
しかし彼らは「スポーツありき」にその後付けとして商業を成り立たせているように思えました。なぜなら見に来る人々がツールを本当に誇りに思っているからです。
そのためでしょうか、日本では成立しない公道レース、そして都市のすぐ近くのコースも整備されています。それだけ人々の中でスポーツと商業が矛盾なく両立しているわけです。
鈴鹿は、少し言い過ぎかも知れませんがモータースポーツ振興のために人工的に観光化された都市です。日本ではモータースポーツは、TV放映権や宣伝効果も含めた産業として位置づけられているように思えます。まず、ヨーロッパと比較して身近に触れる場所が圧倒的に少ないのです。
それでも鈴鹿の人々は「レースの街鈴鹿」をとても誇りに思っています。
4年前、F1は一旦富士スピードウェイに移ることになりました。
私は地元鈴鹿のマーシャルの方と話しました。
「また鈴鹿できっとやりますよね?」
「絶対鈴鹿でやりますから、僕らはそう信じてます!」
日本は(おそらく米国も)極端にスポーツを見ることに対して敷居が高い印象があります。
それらは特別視され、商業化され、産業化されすぎているためではないかと思います。
モータースポーツも、サイクルスポーツも、より生活を豊かにするものとして身近にな存在であること。オリンピックを開催するまでもなく、地元や地域を愛する手段としてのスポーツというのは実際有る。いやヨーロッパではそうなのではないかと、感じたのでした。